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わらび新聞

蕨歳時記バックナンバー No.2 一覧に戻る 1 2 3 4 5 6 7 8 9

【蕨歳時記】 (復刊11号)
威勢よき手づくり御輿春を告げ

蕨では、春の先駆け、初午祭が塚越で行なわれる。宵宮は3月9日。本宮の10日朝まず御輿が塚越稲荷の境内に運び込まれ、昼過ぎから威勢良く町内を練り歩く。この御輿は手づくりされたもので、何と1トン近く重さがある。

稲荷振興は奈良時代渡来人の秦氏が創建したといわれる京都の伏見稲荷に端を発する。江戸時代に飛躍的に盛んになり、現在では全国で3万を超える神社があるという。独立した宮とは別に、特に屋敷の中に設けられる社はほとんどが稲荷である。

旧暦の2月、そろそろ田植えの準備が始まる時期、稲作の豊年を祈る「田の神様」として農民を中心に始まったものだろう。そして豊漁を願う漁業の神、商業の神、ひいては鍛冶屋の神として、広がっていった。最も庶民に親しい祭である。

色々本を調べてみたが、初午との関係ははっきりしない。初午にもやはり豊作祈願の意味合いが籠められているようだ。今年は午年の初午。12年に一度だけめぐってくる。元気のいい塚越の祭。威勢良く不景気風を吹き飛ばして欲しいもの。(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊12号)
春風に福祉のバスやまちめぐる

蕨を東西2系統でめぐるコミュニティ・バス「ぷらっとわらび」がいよいよ今月29日(金)から運行されることになった。定員20名と小柄だが、これまでバス路線が回らなかった福祉施設を中心に巡回するとあって、市民からも強い関心が寄せられている。

詳しいことは3月号の市広報を見ていただきたいが、車体の「ワラビー君」の図柄も愛らしい。きっと市民に愛され、バリアフリーを体験するにも、もってこいとなろう。

こうした福祉バスは全国各地に広がっている。特に路線バスは全国各地に広がっている。特に路線バスが廃止されつつある過疎の町では、運転のできない高齢者にとって、自分の意思で働くための唯一の手段となっている。

蕨のような過密都市では、これとはまた違った意味を見つけるに違いない。そのためにもどんどん利用することが前提となる。市民活動もさらに地域間の交流が深まることが期待されよう。

俳文らしくなくなってしまった。上の絵は丸山さんが、街を走る「ぷらっとわらび」を想像して描いたもの。
(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊13号)
生徒らの歓声響く花筏

ふるさとと言えば、誰もが「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」の歌詞を思い出す。だが蕨には、山も釣りの出来そうな川もない。苦労して造った親水公園があるのみだ。

その1つ、南中学校の傍らの「せせらぎ公園」から始まる南町桜並木遊歩道には、174メートルの流れが設けられている。西から東へ校庭に沿って、静かな流れをなしている。今年は春が早くやってきて、3月16日には早くも開花宣言が出された。これも地球温暖化のせいなのだろうか。

月末に南公民館で開かれた文化祭には、かろうじて桜が散り残り、桜吹雪の中、美術展や各種の体験コーナーに多くの市民が参加、盛況だった。南中のグラウンドでは、生徒達が春風を受けて、大声を張り上げて鍛錬の真っ最中。

せせらぎの下流には、流れもあえぬ桜の花びらが水面を埋め尽くし、季語でいう「花筏」となっていた。人工の自然にも春はやってくる。そしてもうすぐ、せせらぎで子供達が水遊びをする夏も近い。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊14号)
青嵐歴史を語る枯れし杉

北町1丁目の一本杉塚にはさまざまな昔語りがある。平安時代の末、保元・平治の乱を逃れ東に下った金子一族が、親王下賜の兜を埋めたとも、室町末期、戦いに敗れた蕨城主・渋川公が戦死者とその武具を埋葬したともいわれる。

その塚に植えられた杉が大きく育ち、江戸時代には旅人にとって蕨宿の目印や、宿場の鬼門除けと目されてきた、歴史の証人でもある。樹齢は400年を超えたと推定されているが、終戦直後に撮影された写真を見ると、既に枯れ木同然、傍らの小さな榎の他、周りは水田に取り囲まれている。

昭和37年には近隣の人たちが「一本杉保存会」を結成、「二十三夜神」の碑を建てた。蕨風物詩画集「街角の詩」の中で、中村泰三さんは『幾星霜を堪えてなお屹然と 時として梢の尖端に するどく天に向ってたち昇る 一列の魂魄の影をみる』と詠っている。

5月初めの朝、雨の中を老婦人2人がせっせと掃除をしていた。こんな日頃の丹精が、枯れ木にも生命力を吹き込んでいるのではなかろうか。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊15号)
長寿願う庚申の夜や四片咲く

南町四丁目の交差点近く、板倉家の庭に、赤い石の庚申塔がある。正面には邪鬼を踏まえた青面金剛が力強く浮き彫りにされ、その下に「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が掘り込まれている。

寛政四(1792)年七良右エ門が願主となり、21人の講中で建立した。中国の道教の説では、庚申(かのとさる)の深夜、体内に巣喰う三戸(さんし、または三虫)が天に昇って天帝に罪悪を報告し、寿命を縮めるという。

報告をさせず、長生きをするために、庚申の夜は仲間が寄り合い、深夜まで起き続ける風習が室町時代から始まった。初期には阿弥陀仏が本尊とされていたが、江戸時代に全国に普及するようになると、悪疫を調伏する「青面金剛」や道案内の「猿田彦」が彫られるようになった。

道しるべでもあったのだろう、川口の善光寺への方角も記されている。信仰をともにする仲間が60日に一度集まり、結束を固める夜でもあった。板倉家の庭では、塔のそばに紫色の美しい紫陽花がひっそりと咲いていた。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊16号)
夕立来る夢を育む河童像

要害通りは250メートル足らずの小径だが、中央の水路を挟んで緑の多い、蕨には珍しい遊歩道となっている。南北両端に河童の像が置かれ、歴史研究会の手になる「要害通り」と記した石碑が置かれている。

北側には「蕨には多くの用水路があったが、使われなくなり、埋め立てられていった」、南には「蕨城の物見跡と伝えられ、要害の松という大樹と稲荷の小祠があった」と記されている。

さらに「上流(芝園団地付近)の川原には河童の相撲場があったという」「河童が現れるのは、夏の夕方で、遅くまで釣などをしていると、相撲を取らされたり、尻から肝を抜かれたり・・・」とも。

いずれ紹介することになると思うが、蕨はひと頃街角に著名な作家の彫刻を設置した。その中で、市民に一番親しまれているのは、中央小児童達が造ったこの河童像だ。表情が豊かなだけでなく、周辺の景観とマッチし、郷土に対する思いが込められているからだろう。

このペン画は2つの河童像のかわいらしい表情が捨てがたく、合成した。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊17号)
母と子の水合戦に時忘る

夏の風物詩の第一は、なんといってもプールだろう。今でこそ、小中学校にプールが整備され、スポーツクラブには屋内プールが作られているから、水泳は通年のことになってしまったが、一昔前までは、梅雨明けのプール解禁が待ち遠しかった。

特に子供用の浅いプールでは、親子が水を掛け合って、キャッキャッと歓声をあげ続ける。統制のとれた学校やクラブのプールでは味わえない楽しみがあった。

蕨の市営プールは中央、塚越、北町の三ヶ所だが、昔は北町の市民プールには流れるプールもあり、市民で大にぎわいだった。記者も子供を連れて駅から歩いて通ったものだ。帰りも歩きなので汗だくだく。ある時、アイスキャンデーを買って歩きながら食べた。

子供は「買い食いするとママに叱られる」という。「黙っていよう。男の約束だ」 仕事の関係もあり普段会話の少ない親子だったが、この後半年くらいは、片目をつぶってみせるだけで、何か意思疎通を図れた。すべてオープンにするのではなく、秘密の共有も時と場合によれば必要なのかもしれない。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊18号)
手になじむ童子の像や椎落ち葉

蕨氏は城址公園に昭和54年1月「成年式発祥の地・記念像」を設置してから、街角に23の彫刻を飾り付けてきた。今回紹介する平成9年の「走る童子」(薮内佐斗司さん制作)が図書館前に最後の設置となった。

この彫刻は他の彫刻とはひと味違う。選定に関わった智内兄助画伯は「彫刻は単なる街角の飾りではない。街の雰囲気に完全にとけ込んでいなければならない。図書館前である以上、子供達が一緒に学べ、遊びの中から美の感覚を養えるものが欲しいと考えた」と述懐している。

確かに他の彫像が台座の上に乗り、手を触れることがためらわれるのと違い、幼児でも乗っかったり抱きついたり出来る。友達なのだ。薮内さんは「神性を秘めた童子で、この世の現象の後ろに必ず働いている力です」と制作意図を語っている。

造形は仏像のように手を触れられない尊崇の対象でもあったが、一方で人形のように愛玩される日常的な造形でもあった。これらは保存されることはなかったから、後世に伝えられなかったのだろう。この「走る童子」像はこうした造形の二つの機能を融合した記念すべき作品なのだ。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊19号)
豊饒を祈る乙女ら手古を舞ふ

10月12、13日は和楽備神社の秋祭り。各町内の御輿がまちを盛大に練り歩く。中央とか北町とか、今の地名ではなく、昔ながらの「御殿町」「土橋」「三ヶ町」といったコミュニティの名が復活するのもこのときばかりだ。

なかでも人目を引くのは、北町1丁目や2丁目の「手古舞い」だ。山車の前にピンクの半纏を着飾った乙女10人ほどが勢揃い。勇壮に錫杖を突き立てつつ巡幸する。祖先が18世紀末の天明年間に蕨に居を構えたという戸塚範之さんは「元来北町に残る八雲様のものではないか。明治に各地域の神社が和楽備神社に合祀されたときより前から伝わると思う」という。

手古舞は江戸は神田明神などの祭りの余興。「てこ」というのは囃子の太鼓の音とも言われる。男装の女性が山車や御輿の前で「木遣り」の歌に合わせてアップテンポの踊りを舞う。スローな踊りが多かった当時、人気の出し物のひとつだったろう。忙しくて飛び回ることを「てんてこまい」というが、これも「天手古舞」から出ている。

この踊り、各地に広まったのだろうが、今では神田祭などに残されているだけだ。蕨に残る貴重な無形文化財といえよう。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊20号)
稲はざに昔を偲ぶ家並みかな

南小学校の正門前、せせらぎ公園に面した角の空き地に稲架(はざ)が並び、稲束が干されている。蕨では珍しい農村風景だ。晴れた11月初旬に友達も参加して脱穀作業が行われた。

例年なら干し上がった稲は10月中旬には脱穀され、さらに籾摺りされ、玄米となるのだが、今年は遅れ気味。岡田真一さんは「勤め人だから、土日に作業するのですが、今年は雨が多く、十分乾かないのです」という。

稲作をする田圃は富士見市内にある。「4反の田圃で30俵の一目惚れと餅米がとれます」という。昨年のさっと1.8トンの収穫の一部は、南小の3年生に配られた。子供達は絵と作文をお礼にした。こんな交歓も都会では考えられないものだろう

岡田さんは「稲作を通じて、歴史や日本人の本来の生活ばかりでなく、環境問題、食品の安全性、国際問題まで学べるはずです。児童達の総合学習にもってこいのテーマです。身近にこんな風景が残ればいいのですが」という。敷地には「生涯学習研究所予定地」との看板が立っている。亡き父親への思いでもある。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

 

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