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蓮の花開く季節である。蓮の根茎、すなわちレンコンは正月のお節料理はもとより、野菜の炊き合わせには欠かせない素材として珍重され、大消費都市江戸の需要量はかなりのものであったらしい。その証拠に蕨宿の埼玉県から千葉、茨城にかけては至る所に蓮田が広がっていた。蓮という字のつく地名も各所にある。それが今では蓮池も蓮田も数少なくなり、辛うじて公園の中に残されている程度である。首都圏膨張で宅地化されたであろう。レンコンを煮含めるような手間を厭う主婦が増えて、需要が落ち込んだせいもあるかも知れない。
蓮の花には薄紅色と白色があるが、どちらも清浄無垢のたたずまいである。緑色の大きな葉が水面からやや立ち上がり、その間から薄緑の茎がすくっと伸びて、先端に二十弁ばかりの花弁をひらく。ようやく明け初めてきた頃、得も言われぬ淡い芳香をあたりに漂わせながら咲き出す。そして昼ごろには閉じてしまう。従って蓮見は盛夏といえども未だ気温が上がらない朝方のものと決まっており、これまた清々しい感じを添える。
花が終わるとジョウロの口金のような形の果托が出来て、一つひとつの穴の中には丸い実ができる。秋も深まって、すっかり黒く熟した実がポーンポーンと四辺に飛び出す。ずいぶん遠くまで飛んでいくものもある。でたらめに飛ばしているわけではない。自らの根元に落として、それが生えて来たら親子喧嘩になってしまう。なるべく遠くへ跳ばして、いつの日か芽生え、それぞれが繁栄できるようにという思いがあるようである。
ジャーナリストとして八面六臂の活躍をし、日豪友好関係の増進を中心とした国際的活動、そして地元蕨の活性化に力を尽くし、連句俳句を軸とした江戸文化の研究に打ち込む。廣田さんの生涯は蓮が懸命に種子を飛ばす様にも通じるものがあった。
(句と俳文は大澤水牛、ペン画は丸山敏雄)
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