コミュニティーサイトDreamballoon.com

   
home お問い合せ 免責事項・著作権
ドリームバルーンはみんなの夢で大きくふくらむ風船です
ドリバル会員の紹介
小売業のみなさま(飲食関係) 小売業のみなさま(美容・健康・その他) 建設・不動産業のみなさま 製造業のみなさま サービス業のみなさま


わらび新聞

蕨歳時記バックナンバー No.3 一覧に戻る 1 2 3 4 5 6 7 8 9

【蕨歳時記】 (復刊22号)
パイプオルガン響く聖夜の星の数

北町の蕨福音自由教会に11月末パイプオルガンが設置された。12月1日、朝の礼拝で早速披露された。荘重で華麗な響きが底冷えのする町に流れていった。賛美歌を歌う聖歌隊のコーラスも明るく聞こえた。

オルガンといえば、学校で使われる小型の楽器を思い浮かべる向きも多いだろう。オーケストラで使われることもなく、ピアノの陰に隠れた存在と見られがち。しかし、歴史は古い。紀元前3世紀頃ギリシャで発明された。

その後キリスト教が広まるにつれ、教会の壁際、小高いところに設置されるようになり、8世紀頃にはヨーロッパに普及した。もっとも有名な作曲家は、あのバッハだ。日本では戦前、日本橋の三越のメインホールに置かれていたのがよく知られている。

近年、各地の教会やホールに導入されるようになった。これはドイツ・リンク社製、教会設立50周年の記念である。祈りを捧げる集会には貸し出すとのこと。とだわらび青年会議所は早速クリスマス集会に使うことにしたという。蕨にまたひとつ文化の新しい種がまかれた。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊23号)
去年今年親子手を添え鐘を撞く

「第一鐘」−元旦の零時ちょうど。参拝客の小さなざわめきの他は、静まりかえった三学院の境内に、澄んだ声が響く。除夜の鐘の始まりだ。鐘楼には親子連れが数組、撞木に手を添えて、祈りをこめながら鐘を撞く。重々しい鐘の響きが街に流れていく。

様々な煩悩を鐘とともに、打ち払い、新しい年に持ち越さないと言う願いが籠められている。「除夜の鐘」という言葉はそんな意味なのだろう。

「第百八鐘」の声が夜空にこだまする。多くの寺院ではこの一つの鐘だけが新年に撞かれる習わしとも言う。百八鐘というのは、百八の煩悩があるということだが、その煩悩の内容については諸説があって、はっきりとしないようだ。言い換えれば数え切れないほど多い、ということ。たしかに今の世の中、何時景気が回復するか、本当にアメリカのイラク侵攻はあるのか、大から小まで煩悩の数は知れない。

NHKの紅白歌合戦が終わった頃からどっと人並みが増える。記者は毎年この時間に初詣をしてきたが、次第に参拝の人が増えているようだ。信仰が厚くなったのか、いや不安が増しているからかもしれない。明るい新年が来る事を祈った。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊24号)
鬼やらひ四海に声を届けたし

2月3日は節分。多くの神社で豆まきが行われた。和楽備神社でも午前11時から信徒代表約50人が、揃いの半纏を身にまとい、本殿の周りを「鬼は外、福は内」と豆をまいて回った。

参拝客を前に、有名なスポーツマンや女優が豆をまく「イベント」とは違い、慎ましやかだが、それなりに厳かな神事であった。旧暦でいえば、翌日が立春。この日から新しい年が始まるのだ。だから節分は除夜と同じ意味を持っている。

除夜が鐘を撞き、厄をはらうのと同じく、疫鬼を追い払い新年に持ち越さないという儀式であった。中国から到来した道教的な風習だが、文献によると日本では既に奈良時代に大祓が行われたという。しかしこれは宮廷での大晦日の行事で、今の豆まきとは直接結びつかない。

民間で節分に豆をまくようになったのは、室町時代以降のことという。大豆は日本人の食生活とは切っても切れない食品で、何か神秘的な呪力を持っていると考えられていたらしい。

ところで、この日、和楽備神社では神主が赤尾省三さんから子息の哲治さんに交替、お披露目が行われた。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊25号)
春の旅偲ぶよすがや資料館

3月1日、氷雨が降る夜、旭町公民館・旭まちづくり夢工房共催で「放置自転車について考える」とのシンポジウムが中央公民館で開かれ、約80人が参加した。

都市プランナーの野口和雄氏がコーディネーターとなり、まず蕨市市民生活部・北村次長が駅周辺の放置状況をスライドで説明、正規の駐輪場は、東口は満杯だが、西口は南側に余裕があると指摘、次いで塚越商店会の佐藤孝二会長が「有効な解決策がなく、商店街に駐輪できないような工夫をするように指導している」と述べ、中仙道まちづくり協議会の中津川俊明氏は「中仙道では店舗改築の際1.2mセットバックする協定を結んでいる」と語った。

中央1丁目子ども会の志水正子会長は「行政がもっと積極的に空地探しをすべきだ」。夢工房の河野忠義氏は「再開発地区の設計に駐輪場を採り入れるように」と要望した。駅前で放置自転車の防止と処理にあたっているシルバー人材センターの岡田栄治所長は「高齢者が放置しないよう説得すると、きつい言葉で反論したり、暴力を加えられることもある。通りがりに、応援の声を掛けて欲しいものだ」と市民モラルの欠如を強調した。

このあとパネルディスカッション。野口氏が「放置が起こらない駅前は、放置すると、恥ずかしいという気持ちにさせるまちづくりが出来ている。市民と商店街が協力してレンタサイクルを導入するなど、工夫して一歩でも解決に近づけたい」とまとめた。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊26号)
花散らす戦場からの黄砂かな

今年は昨年に比べて、さくらの開花が遅く、3月29、30日の南公民館の文化展の頃はまだ三分咲き程度。それでも郷土の画家三人展や誰でも参加できる美術展には多くの市民が訪れていた。

同じ日、市民公園にはフリーマーケットや屋台で賑わっていた。ここではクルド人の店が出ていて、人目を引いていた。ご存知のように、クルド人はトルコとイラク、イランに民族が分断されている。

気象庁によると、このころの強風が運んでくる黄砂は、中国大陸からだけではなく、中東の砂嵐巻き上げた砂も混じっているという。イラク戦争で英米軍を足止めさせたあの砂嵐だ。硝煙の粒子も飛来しているのかも知れない。地球は小さな星だし、世界は本当に身近な関係にあると感じさせられた。

それなのに何故、悲しい戦争が起こるのだろうか。数日で終結すると見られた戦闘が長引き、多くの市民が犠牲となっている。日本では桜が多く植えられたのは、平安末期の紛争のあとだった。全国行脚を続けた西行法師がともらいの意味を込めて桜を植えていった。華やかな桜だが、悲しい歴史に彩られている。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊27号)
庭木選ぶ友うらやましビル住まい

4月29日、みどりの日。今年も好例の苗木市が中仙道で開かれ、多くの市民で賑わった。苗木と銘打っているものの、市が始まった当初に比べると、苗木そのものは減って、鉢植えものが増えてきたような気がする。もう蕨では、苗木から育てることが出来る庭付きの一戸建ては高嶺の花になりつつあるのだろうか。

そういえば、数年前だったか、「ヘチマ」の苗が配布されたような記憶がある。せめてマンションのベランダででも、緑を楽しんでもらおうという苦肉の策だったのかも知れない。とは言うものの、蕨は比較的緑に恵まれている。

記者は、取材がてら、せっせと歩くことにしているが、この季節、色々な花が咲き乱れ、目を楽しませてくれる。公園などには大きな樹木が残っているし、手入れの良いお庭を覗くのも面白い。いっそのこと、幾つかのお庭を公開していただき、花観察のツアールートを設定したらどうだろうか。

郷土再発見のためにも、来年のみどりの日に、苗木市と合わせて考えてみたいものだ。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊28号)
白あやめひときわ光集めをり

雨もよいの空のもと、紫に混じって真っ白なあやめが、周囲の光を一身に集めてしまったかのような豪華さを発揮している。

日本に自生しているアヤメ属が、アヤメ、カキツバタ、花菖蒲など7種類あり、そのほかにも園芸用に開発された種類も数多くあるという。シャガもアヤメの仲間だとは知らなかった。

昔から「いずれアヤメかカキツバタ」と、美人の例えに使われてきたが、どう違うのか、手許の百科事典で調べてみた。緑色で剣状の葉の間から、花茎が30センチほど伸び、三片の花びらをつける、とここまでは一緒。

だが、アヤメの葉は中央にわずかではあるが突起があり、花菖蒲は突起がはっきりしている。また花の根元部分は黄色で紫色の網目模様がはっきりと見られるという。カキツバタは葉脈がまるでなく、網目模様もない、とのことだ。

もっとも混同されているのは、五月の節句にも使われる「菖蒲」だ。これは「サトイモ科」で、花はがまの穂のようなもの。観賞用には使われない。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊29号)
水玉を抱いて咲くや睡蓮花

睡蓮と言えば、とっさに浮かぶのは、印象派の画家モネのことだろう。晩年自宅の庭に睡蓮の池を作り、繰り返し繰り返し、飽きもせず睡蓮の絵を描き続けた。睡蓮の花そのものを愛したのかも知れないが、連作にした理由は、単純なものではない。

時間の推移によって、モチーフがどう変化するか、それを描き分けることに専念したのである。いわば瞬間の変化をどう捉えるかが大きなテーマとなっていた。このためには、朝開き、夕閉じる睡蓮の花、そして種類によって開花時間の異なるこの花を選んだのも当然だったのかも知れない。

睡蓮の歴史は古い。古代エジプトでは神聖視され、主審オシリスの冠に飾られ、復活のシンボルとなっていた。王の棺の中からも青と白の睡蓮が描かれている。

睡蓮の花が閉じるのを眠ると見立てたところから名付けられた。日本では固有の種はやや小振りのヒツジグサ一種。未の刻(午後1時から3時)に開花するところから名付けられたという。

(ペン画は丸山敏雄、句と俳文は廣田耕司)

 

【蕨歳時記】 (復刊30号)
蓮の香や後姿の遠ざかる

蓮の花開く季節である。蓮の根茎、すなわちレンコンは正月のお節料理はもとより、野菜の炊き合わせには欠かせない素材として珍重され、大消費都市江戸の需要量はかなりのものであったらしい。その証拠に蕨宿の埼玉県から千葉、茨城にかけては至る所に蓮田が広がっていた。蓮という字のつく地名も各所にある。それが今では蓮池も蓮田も数少なくなり、辛うじて公園の中に残されている程度である。首都圏膨張で宅地化されたであろう。レンコンを煮含めるような手間を厭う主婦が増えて、需要が落ち込んだせいもあるかも知れない。

蓮の花には薄紅色と白色があるが、どちらも清浄無垢のたたずまいである。緑色の大きな葉が水面からやや立ち上がり、その間から薄緑の茎がすくっと伸びて、先端に二十弁ばかりの花弁をひらく。ようやく明け初めてきた頃、得も言われぬ淡い芳香をあたりに漂わせながら咲き出す。そして昼ごろには閉じてしまう。従って蓮見は盛夏といえども未だ気温が上がらない朝方のものと決まっており、これまた清々しい感じを添える。

花が終わるとジョウロの口金のような形の果托が出来て、一つひとつの穴の中には丸い実ができる。秋も深まって、すっかり黒く熟した実がポーンポーンと四辺に飛び出す。ずいぶん遠くまで飛んでいくものもある。でたらめに飛ばしているわけではない。自らの根元に落として、それが生えて来たら親子喧嘩になってしまう。なるべく遠くへ跳ばして、いつの日か芽生え、それぞれが繁栄できるようにという思いがあるようである。

ジャーナリストとして八面六臂の活躍をし、日豪友好関係の増進を中心とした国際的活動、そして地元蕨の活性化に力を尽くし、連句俳句を軸とした江戸文化の研究に打ち込む。廣田さんの生涯は蓮が懸命に種子を飛ばす様にも通じるものがあった。

(句と俳文は大澤水牛、ペン画は丸山敏雄)

 

 

蕨歳時記バックナンバー No.3 一覧に戻る 1 2 3 4 5 6 7 8 9

 

 




 

会社概要免責事項・著作権についてお問い合わせ
Copyright (C) 2001 Takaishi Communications Co.,Ltd .All Rights Reserved