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わらび新聞

蕨歳時記バックナンバー No.7 一覧に戻る 1 2 3 4 5 6 7 8 9

【蕨歳時記】 (復刊61号)
陽炎や雀の宿へつづく径

寒い寒いと言っていたのが、いつの間にか麗らかな陽射しに変わってきた。枯れ木同然だった街路樹にも青みがかった木の芽がふくらみ始めた。枯れ芝の下には芽吹きの気配も感じられる。

晴れた日の昼過ぎ、野原や道路などの地表が暖められると、陽炎が立ち昇る。陽炎を透かした向こう側の景色もゆらゆら揺れて見える。そんな景色を眺めていると、日ごろの憂さを忘れて、のんびりとした気分になる。

昔話の「舌切雀」を思い出す。お婆さんが作った洗濯糊を食べてしまった雀が舌を切られ、気の毒がったお爺さんが介抱して放してやる。雀のお宿を訪ねたお爺さんは大歓迎され小判の詰まった葛籠をもらう。欲を出したお婆さんは大きな葛籠を選んだばかりに、中から蛇やむかでが飛び出して腰を抜かした、というようなあらすじだった。

もうこんな話を聞かせてくれるお爺さん、お婆さんも少なくなった。子供の方も理屈っぽくなっているから「そもそも糊を食べた雀が悪い」「お婆さんばかり悪者扱いはおかしい」なんて言い出すかも知れない。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊62号)
焼蛤のイナバウアーとはしゃぐ子等

日本チーム大惨敗のトリノ冬季オリンピックの中で、ただ一人気を吐いたのがフィギュアスケートの荒川静香さんだった。為すところなく負けたのに、にやにや笑いを浮かべながら「五輪を楽しみました」なんて言う腑抜けの中で、このお嬢さんは戦う前も金メダルを取った後もしゃきっとしていた。

あの華奢な舞は日本中を湧かせた。上体を大きく反らせながら滑走するイナバウアーというのが流行語になった。たちまち子供たちが真似して、ローラースケートで背中を反らし、すってんころりんやってべそをかいたりしている。

4月から5月にかけての行楽の一つが潮干狩。東京湾は汚染や埋め立てで潮干狩のできる海岸が減ってしまったが、それでも木更津あたりまで行けば相変わらず盛んである。採れるのはほとんどがアサリかシオフキだが、まれにハマグリが見つかったりすれば宝物を得たような喜びである。

蛤は何と言っても焼蛤が一番。焼網に乗せた蛤は熱くなると突然口をぱかっと開けてそっくり返る。美味しいおつゆがこぼれて灰神楽が立って、子供たちはきゃあきゃあ笑い声を上げている。

(大澤水牛)

 

【蕨歳時記】 (復刊63号)
青あらし時には空き缶飛んで来る

青葉若葉の気持ちの良い季節になった。青葉の梢を吹き渡る風も爽やかである。吹く風が強まり、新緑をざわめかせるようなのを「青嵐」と言う。初夏によくある強風だが、秋の豪雨を伴った台風とは違って、思わず一緒に駆け出したくなるような明るい風である。

青嵐に押されるように公園の近くを散歩していたら、いきなり何かがからころと飛ぶように転がって来た。ビールの空き缶だった。ぽかぽか陽気に公園のベンチでくつろぎながら、缶ビールを空けたのだろう。飲んでいい気分になるのは結構だが、空き缶のポイ捨てははた迷惑である。

それにしても町中にはゴミが多い。至る所に散らばっている。煙草の吸い殻、紙くず、キャンデーやガムの包み紙、空き缶、ペットボトル、ありとあらゆるものが落ちている。大人も子供も平気で物を捨てるし、ゴミが散らばった道を気にもせずに歩いている。私たちはいつからこんな無神経な人間になってしまったのだろう。

「ゴミを捨てたら罰金」と、上からの強制で街を清潔に保っている国もあるけれど、それは民度の低い証拠。日本人はもう少しましなはずだがなあ、と空き缶を拾い上げて考える。

(大澤水牛)

 

【蕨歳時記】 (復刊64号)
衣替え乗り放題の切符手に

奈良平安の昔から、朝廷では旧暦4月1日に夏服に着替え、10月1日には冬服に替える「更衣(ころもがえ)」を行ってきた。これが下々に伝わり、江戸時代には庶民の間にも定着した。明治になって新暦に切り替わると、夏服への衣替えは6月1日、冬服は10月1日、場所によっては11月1日ということになった。

近ごろは衣料品が安価に大量に出回り、嗜好の多様化も手伝って、巷にはさまざまなファッションが満ちあふれている。だから冬や春先でもまるで夏服のようなものを着ている人も多い。逆に冷房が行き渡ったせいか、真夏でもジーンズに黒っぽい長袖シャツという若者もいる。勤め人は相変わらずスーツにネクタイ姿である。

そんなところから冷房用エネルギーの節約をはかろうと、背広をぬぎネクタイをはずしたスタイルが提唱されるようになった。まことに結構なことだが、それを称して「クールビズ」という何語だかわからない嫌な言葉をつけた。どうして夏姿とか、あるいはちょっとしゃれて「夏ごろも」といったちゃんとした日本語をもちいないのだろう。

夏衣に着替え、「1日乗り放題切符」を買って都内の名所をあちこち巡りながらそんなことを思う。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊65号)
あめんぼうプール掃除が始まるぞ

夏になると、水たまりや小川などにアメンボがたくさん現れる。細くて長い4本の脚を漕いで、水の上を滑るように走る。一番前の脚2本は短くて、これは餌になるごく小さな虫を取る役目をする。飛ぶことができるから、雨上がりの朝など、校庭の片隅にできた水たまりに突然出現したりする。何しろ水中を泳ぐのではなくて、水上を走ったり跳んだりするのだから、まるで忍者みたいである。

この虫をミズスマシと言うこともあるが、本当のミズスマシは池などで水面をくるくる輪を描いて泳ぐ、黒豆くらいの大きさの甲虫である。アメンボをミズスマシと呼ぶ地方では、この本来のミズスマシをマイマイ(舞い舞い)と呼ぶようだ。とにかく両方ともとても愛嬌のある虫で、昔は子供達の人気者だった。近ごろの子どもは外で遊ぶ機会が減っているから、アメンボもミズスマシも見たことがないと言うかも知れない。

秋から水を溜めたままのプールの水はよどみ、初夏ともなるとどこからともなくアメンボがやってきて住み着く。そのアメンボ天国も今日でおしまい。明日からのプール開きを前に大掃除が始まるのだ。いよいよ夏本番が来る。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊66号)
朝顔やパンが焼けたと電子音

朝はどこの家もとても忙しい。学校へ行く子どもや会社勤めのお父さんに朝御飯を食べさせ、年寄りを抱えた家庭だとおじいちゃん、おばあちゃんの世話が重なる。お母さんはてんてこ舞いである。

専業主婦だって大変なのに、共働きの主婦だったらもう目が回ってしまいそうになる。腹の虫の居所が悪かったりすると、新聞を読んでいるお父さんやぐずぐずしている子どもについつい八つ当たりしたくもなる。

腹の虫をぐっと抑えて窓の外に目をやると、朝顔が咲いている。7月に家族揃って出かけた朝顔市で買い求めた鉢植えである。欠かさず水をやっていたおかげで、いまだに清楚な花を毎日見せてくれる。この花を見つめていると気持ちがなごむ。

不平不満の種はいっぱいあるけれど、そんなものをいちいち数えて立てていてもしょうがない。我が家はみな元気一杯。これが何よりの幸せだなあと思う。そんなことをとりとめなく考えている耳元にポンポーンという音が響く。「はい、パンが焼けましたよ」。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊67号)
朝顔やパンが焼けたと電子音

そろそろ秋刀魚がおいしい季節になった。秋刀魚は夏場は千島、オホーツク海などでたっぷり栄養をとって太り、旧盆過ぎに根室、釧路沖から日本列島に沿って南下し、三陸沖、銚子沖、三浦半島、紀州沖へと下っていく。

9月末から10月頃、三陸から銚子沖あたりで獲れる秋刀魚は、スマートな魚体にたっぷり脂が乗ってすこぶる旨い。一度にたくさん獲れるせいか、秋刀魚はあまり上等のサカナとはみなされず、スーパーの目玉商品になったりしている。しかし、考えるまでもなくこの魚は人工栄養で育てられた養殖魚ではなく、れっきとした天然自然の恵みである。

若い奥さん方に敬遠される理由は、焼く時に上るもうもうたる煙であろう。マンションのさして広くないキッチンで秋刀魚を焼けば、煙は居間にも寝室にも這い込んでしまう。さりとて「煙の立たないレンジ」などでじゅくじゅく焼いたのではおいしくない。

七輪に炭火を真っ赤におこして、盛大に炎と煙を上げて焼き上げた秋刀魚に大根おろしをたっぷり添えて、生醤油を少々たらして熱々を食べる。目黒へ出かけた殿様ならずとも、世の中にこんなおいしいものがあったのかと思う至福の時である。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊68号)
花野ゆく携帯電話はOFFにして

秋の野原は自然の花園になる。萩、尾花(ススキの穂)、クズ、なでしこ、おみなえし、ふじばかま、ききょう。秋の七草として数えあげられる花のほかにも、野菊、曼珠沙華、リンドウ、その他名も知らぬ草花が一斉に咲き乱れる。

秋の花は、春の梅、桜、桃などと違って、一つ一つを取り上げればどれも地味な花ばかりだが、それらが野原のあちこちでさりげなく咲いている様子は清楚可憐で味わいが深い。人工的に作られた公園には、派手な園芸品種の草花が咲き誇っているが、やはり野原に咲く自然の花の風情には敵わない。万葉集の時代から百花咲き乱れる秋の野は日本人に好まれ、「花野」という秋の季語が生まれた。

首都圏一帯は野原がどんどん開発されて、今や花野を歩むにはだいぶ遠方まで足を伸ばさなければなくなった。しかし、雑草と言われるだけあって、こうした草花は生命力が強く、河川敷や近所のちょっとした空地にもいつの間にか花咲かせている。

たまには携帯電話など切って、秋の澄んだ空気を胸一杯吸い込んで、花野を歩きたい。命の洗濯である。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊69号)
おやしらず抜いて短日暮れにけり

11月に入ると日暮がぐんぐん早くなる。まだ4時を少し回ったばかりなのに、もうこんなに薄暗くなってしまった。夕支度に忙しいお母さんたちにとっては、特に気持ちがせかされる時節である。俳句ではこの頃の気分を「短日」という季語で表わす。

ふと気がつけば既に11月半ば。年内に仕上げなければいけない仕事が山と積まれているのに、なんとしたことか、数日前から奥歯がしくしくと痛み始めた。放っておいて良くなった試しはこれまでの経験から絶無だから、思い切って歯医者に行った。

「ああ、この親不知のせいですね。奥歯との間に物がはさまって、それが原因で奥歯が虫歯になっています。まずこの親不知を抜かなければなりません」。冷酷無残なご託宣で、オヤシラズを抜くはめになった。痛いのなんのって、麻酔を何回やりなおしたって効きはしない。痛いは血は流れるはの悪戦苦闘。

ようやく解放されて外へ出た時には、あたりはもうとっぷり暮れている。ひどい重労働を終えた感じで、身体はぐったり頭はぼーっとしている。「あなたのオヤシラズは簡単な方でしたよ」なんて言われても、何の慰めにもならない。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

【蕨歳時記】 (復刊70号)
六人のベンチに七人冬ぬくし

気象庁の長期予報によればこの冬は暖冬だという。口の悪い人に言わせると「きしょうちょう」と三度唱えれば交通事故に遭わない、それほど予報は当らないというから、今回もはずれるかも知れないが、とにかく暖かそうだと言われるとほっとする。衣料品や家電製品を商う人たちにしてみれば、冬は冬らしく寒くなくては売上げに影響が出て困るのであろうが、庶民感情からすればやはりあまり寒いのは御免こうむりたい。

どんなに寒い冬でもふと暖かい日が2,3日続くことがある。ぽかぽかとした陽射しを浴びて、すっかりくつろいだ気分になり、なんだか儲け物でもしたようである。こういう日和を俳句の世界では「冬暖か」とか「冬ぬくし」と言う。

公園にはおじいさんおばあさんが日向ぼっこ。赤ちゃんや幼稚園前の幼子を連れた若いお母さんも繰り出してくる。そこかしこのベンチには公園仲間が仲良く座って世間話に花を咲かせる。「ここ詰めればもう一人座れるわよ」「いらっしゃいな」。「おたくの赤ちゃん元気ねえ」「離乳食が始まったんですよ」。「すずきさんのおじいさん、入れ歯の具合どう」「うん、まあまあだ」。ほのぼのとした空気が漂う。

(大澤水牛、ペン画・丸山敏雄)

 

 

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