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わらび新聞

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地蔵の小径(復刊号)

「両側町」。聞き慣れない言葉だが、2月行われた市民大学講座で、江戸東京博物館の竹内館長が江戸時代の町人町の説明に使ったもの。
当時は、道路を挟む向こう三軒両隣の六軒が最小のコミュニティだった。3時間も顔を見せなければ、病気でもしたかと、誰かが戸をたたく。余分なことには口を出さないが、美味しいおかずを作れば「お皿を持っておいで」と大声で話す。
戦前までは、大方の町がこんな付き合いだった。しかし車社会の発展と共に、町はすべて「片側町」になった。コミュニティの単位が両隣だけの淋しい暮らしに変わった。商店街も同様だ。今活況を呈している商店街は砂町でも、巣鴨でも車が通れない細い道に人がひしめき合っている。

車道はいわば川だ。迂回して橋(横断歩道)を渡らなければ、買い物もままならぬ。商店街活性化のために、車を排除したアーケードが各地に出来つつあるのも、両側町再生の発想からだろう。もちろん車は必要だ。しかしまち作りに、こんな「両側町」の発想を生かせないものだろうか。

 

地蔵の小径(復刊2号)

IT講習が始まった。公民館などの各教室とも満員だ。ワープロ機能はもとより、パソコン通信やインターネットなど、新時代のコミュニケーション・ツールを手に入れようとする熱意に驚かされる。

ところでこんな話を聞いた。語るのは離島出身者の官庁幹部。このほど島に残っていた父親が急死した。しかし母親は島を離れたくないという。

連絡を受けて在京の兄弟と通夜に駆けつけたとき、東京から最新のノートパソコンを担いでいった。葬儀の翌日から、母親に1週間かけて電子メールの特訓をした。

帰郷してから、毎朝兄弟が代わる代わる孫の写真を電子メールに載せて送る。「ひとりぽっちではない。」母親はパソコンの画面を見て、「おはよう。今日も元気で」と畑仕事に出ていくのだという。

これまでは考えられなかった光景だ。電話やファックスではこうはいかない。ITを始めた皆さん、目的意識がなければ、せっかく覚えた新技術も身に付きませんよ。それに、12時間程度の講習では、ほんの基礎の一部しか習得出来ないでしょう。

何のためのITか。単なるファッションではない。目的を持ってください。

 

地蔵の小径(復刊3号)

「安心して一歩ける町」「会話や対話のある商店街」−これが「ホットな人間関係を生み、まちを生き生きさせる」。中仙道商店街振興組合の年次総会での来賓の挨拶の言葉である。本当にその通りだと感激した。

こんな心構えで、県政や市政を運営していただけるなら、蕨市も、その商店街も将来は明るいものだと思った。「会話のある商店街」をキーワードの一つにしたいものだ。そこで思い起こすのが、青森県・深浦町の事例だ。ここでは三月屋外のたばこ、酒類の自動販売機の撤去を決めた。理由は、未成年者への悪影響を防ぐためという。

販売店などからの根強い反対もあり、実施できるかどうかは分からないが、商店と客との会話が少しでも復活すれば、青少年対策だけでなくもう一つプラスの結果を招くかもしれない。

蕨のような密集した町では望み得べくもないし、かえってマイナスが増えるだろう。しかしこんなにも、発想の転換が求められていると言うことは念頭に置かなければなるまい。

 

地蔵の小径(復刊4号)

「詰め込み」はいけない、これからは「ゆとり教育」だと叫ばれている。確かにその通りだろう。小学校6年間の理科、国語、算数、社会の主要4教科の授業時間は、昭和43年の3941時間から、平成10年には2941時間と1000時間も減ってきている。しかしこの4教科は、子供達が成人し、社会生活をする上で、基本となるものだ。

「ゆとり」で何が生まれたか。進学競争のための「塾」の活性化だけではなかったか。国際的に見てこれで良いのだろうか。

総務庁が平成7年頃調査した結果を見ると肌寒くなる。7歳から15歳の子供が学校以外でどのくらい勉強時間をもっているか、という数字だ。「ほとんどしない」は日−9.4%、米−5.8%、韓−3.6%、「2時間以上勉強する」は日−23.2%、米−41.4%、韓−63.6%という。このままでは日本の誇る技術立国も、早晩絵に描いた餅になってしまうだろう。小泉総理の説く「米百俵」の精神とはあまりにも食い違う現実だ。子供に過剰なゆとりを持たせる必要が本当にあるのだろうか。

 

地蔵の小径(復刊5号)

駅周辺に空きビルが目立ち始めた。数年前からスーパーの上階が空いたままになっていたが、今また大型家具店の後が空いたままだ。シャッターを閉め切った商店も目立つ。客筋が逃げつつあるのだろう。

この際だから一つ提案させてもらいたい。今こそ守りから攻めに転じるチャンスなのだと。具体的に言おう。空いたままなのだから、比較的貸料を安く借り上げることも可能だろう。財政が厳しいのは分かっているが、駅ビルを建てる前に、家具店後の4フロアを市役所が借り上げて、4階は起業家のための貸事務所にし、3階を200人規模のホールにする。2階は数多くの集会室にし、1階は、通勤者のための一時預かりの保育園にする。

そして、市外の人たちにも開放するのだ。これまで西公民舘を使っていた彩の国生きがい大学に閉鎖のうわさが頻々と上がる。それも交通が不便で、応募者が少ないためだという。市外から積極的に人を呼ぶ、これが活性化の第一歩だと考えるのだが。市役所が先頭に立ってもらいたい。


 

地蔵の小径(復刊6号)

この夏、政界をにぎわせた歴史教科書。扶桑社の教科書は私が読んだ限りでは、愛国心を強調するあまり、韓国や中国の人たちをいらつかせる内容はあったかもしれないが、決して、あそこまで批判されるべきではなかったと思う。

私事になるが、新制中学に入った昭和24年、新任の大学を出たばかりの社会科の先生は、「倒序式」に日本史を教え始めた。古代からでなく、現代から遡るのだ。太平洋戦争は何故起こつたか、大正デモクラシーはどうして廃れたか。「何故」「何故」との問いかけの連続だった。歴史の面白さを教えられ、その後の経歴を大きく左右したように思える。

明治までやっと遡っただけで、1年は終わった。今のカリキュラムではこんな教え方は許されないだろう。何故という問いかけはほとんどなく、暗記物になっている。また社会の変化を追うあまり、人物の物語やロマンが欠落している。

それぞれの教師にもっと自由が与えられても良いのではないか。生徒に興味を持たせる、それが教育の原点だと思えるのだが。


 

地蔵の小径(復刊7号)

このローカル紙で世界情勢に触れるのはおこがましいが、1歩1歩戦争が近付いて来る恐ろしさに苛まれているとなればひとこと言いたい。

日本はどんな態度をとるべきなのか。憎むべきテロに米国とともに対抗するのは当然である。ただそれだけで良いか。この争いは第2次世界大戦後イスラエル建国に始まる。宗教戦争の主役は変わってきたが、憎しみと暴力との連鎖を増幅してきた。

報復は必要だが、永遠に報復を続けては、決して平和は来ない。どこかでこの連鎖、或いは悪い輪廻を断ち切らねばならない。こうした外交努力に取り組んでいないように見える。 

釈尊は人生の輪廻を断つために苦行を続け、悟りを開いた。そこには他者への思いやりがある。言い換えれば異文化との共存を認め合うということだ。仏徒が立ち上がる時ではないか。 

もう一つ、日本は無差別な原爆の被害を受けた唯一の国だ。アメリカが核使用さえ示唆している今日、首相が大統領に一言で良いから、使用しないよう、釘をさして欲しかったのだが。

 

地蔵の小径(復刊8号)

旭町公民館の「まちづくり夢工房」は蕨駅西口広場をきれいにしようという運動に取り組み始めた。雑然と林立している看板を整理しようという。確かに、いつ誰が掲示したのか分からないものが立てられたままだ。

どこに訴えたらいいのか、広場はJRと市役所が管理しているというが、広告主体もはっきりしていないものもある。まちづくりは、大構想を持って臨むのも良いが、こんな小さな事に眼をつけるのが、生活者としての視点なのだろう。

記者はこの新聞作りに関わって半年にしかならないが、蕨市には公民館を中心に実に多くの有意義な催し物があることに気付いた。関係者の努力には頭が下がるが、市民に効果的に伝達されているのだろうか。

そこで一つ提案がある。駅前と市役所に「総合掲示板」を作ってもらいたい。悪戯や有害な告知は排除するとして、市民が自由に行事を報せることの出来る大きな掲示板が欲しいのだ。参加者が増えれば、市民の間のコミュニケーションも良くなるだろうし、活性化にもつながってくる。

 

地蔵の小径(復刊9号)

11月19日の深夜、マンションの屋上から獅子座の流星群を見た。
風もなく、それほど寒くもなく、北斗七星はやや霞んでいたが、中天に
かかるオリオンがくっきりと見え、絶好の観測日和だった。北の空と云わず、
ほぼ全天に尾を引く流星が見られた。

ごく小さな流れもあれば、消えそうになつて大きな光を放つものもある。
細い尾、太い尾、それぞれに美しい。朝のテレビでは、日本で見られる
流星群としては過去三百年で、最大規模と伝えていた。

近くのマンションの屋上からも歓声が聞こえてくる。子ども連れで観測して
いるのだろう。前回の流星群に裏切られただけに、宇宙の神秘を伝えるのには良いチャンスだった。天体ショーに酔いしれた人も多かった事だろう。

蕨の空も、こんなに澄んでいるのかと、今さらながら思った。アッという間に
消える流れ星。もう老境近くなった記者も何か願いをと考えてみたが、追いつかない。ようやく一言、「平和を」とつぶやくのが関の山だった。

 

地蔵の小径(復刊10号)

白川静氏の「字統」(平凡社刊)によると、午という字は古代中国で邪悪を払う防御用に使われた杵の形をした「呪器」の形象文字だとされる。その後十二支の馬の当て字として使われた、とのこと。

そういえば、「杵」という字も旁に「午」の字が含まれている。道路にこの呪器を置き、外から入ろうとする邪気を防ごうとする際、即ち「御」を執り行ったとされる。

話は変わるが、今年受け取った多くの年賀状が、紛争と混乱に明け暮れた昨年を回顧し、平和を祈願する文章を重ねていた。既に退職したものが多いが、記者仲間からは独善的なアメリカの非を指弾するものも多く、何故こうした意見が紙面に反映されないのか、組織を前にした個人の弱さを痛感させられた。

それにしても「午」にこんな意味があるならば、かっこつけるわけではないが、世界を少しでも払いのけるきっかけの年にしたいもの。故ケネディ大統領ではないが、個人個人「何が出来るか」を問い直す時が来たのだろう。

 

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