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わらび新聞

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復刊を祝す 蕨市長・田中啓一(復刊号)

 「街の灯りを消したくない」と中山道周辺の皆さんで立ち上げた有限会社・蕨宿が昨年七月休刊した「わらび市民新聞」を復刊されましたことは欣快に絶えません。
 市民新聞の歴史をひもときますと、創刊が市制施行の前年、昭和33年とのことですから、以来40年以上もの永い間、発行を続けてこられたわけであります。しかしながら、社主であり、記者であった小此木勇氏が一身上の都合で続投出来なくなり、止むなく休刊していました。小此木さんにとっては、さぞかし断腸の思いだったのではないかと推察いたしております。
 そんな小此木さんの思いをくみ、蕨市をこよなく愛する皆さんが知恵を出し合い、汗を流して再出発したのが、本紙ではないかと思います。経験豊かな編集記者を迎え紙面を21世紀版にリニューアルし、脈々と続く基本方針を生かした紙面は、きっと市民のニーズに応えられるものと確信しております。本紙が心豊かな市民生活を応援するための情報広場として、多くの市民の皆さんに愛読されますようご期待申し上げます。
 そのためには、埼玉県が生んだ実業家・渋沢栄一が信条としていた「事業には信用が第一である。世間の信用を得るには、世間を信用することだ。個人も同じである。自分は相手を疑いながら、自分を信用せよというのは虫のよい話である」という言葉を忘れずに、編集・発刊してほしいと願っております。

 

話題を追って
アクティブ・シニアを攻めろ(復刊2号)


21世紀のマーケットとして注目を浴びているのが、リサイクルをはじめとする環境ビジネスだが、もう1つ忘れていけない分野が「高齢化」だ。というと、皆さんは「介護ビジネス」を思い浮かべることと思う。

しかしいま注目を浴びているのが、「アクティブ・シニア」なのだ。聞き慣れない言葉かもしれないが、一言でいえば「元気な老人」といった人達だ。確かに昼過ぎの街角でも、演奏会や講演会でも颯爽としたおばあさん、おじいさんが目立つようになってきた。

この人達が、比較的自由に使えるお小遣いを持っている世代として注目を浴びているのである。この2月、経団連会館で開かれた新事業開発のための説明会をのぞいたところ、この言葉に気が付いたのだが、説明に当たり、アクティブシニア・マーケットの攻略企画を募集しているのが、なんとトヨタ自動車だったのには驚かされた。

説明を聞こう。少々数字が続くが我慢して欲しい。

2010年の日本の人口楕成を予測すると、55歳以上が37%を占める。65歳以上では2813万人。このうち、介護を受けている人を除くと、約2400万人に達するという。
現在、年金の切り下げがささやかれ、貯金の利子がほぼゼロに等しく、将来に不安材料があるためか、経済企画庁(当時)は、50歳台の貯蓄は1850万円、60歳代だと2490万円と予測しているというのだ。

シニア・マーケット全体の大きさについては、現在が40兆円、このうち介護マーケットは10兆円と見なされているが、2010年には全体で90兆円に達すると言う。蕨の人口は全国の約2000分の1だ。となると、450億円の潜在的マーケットを抱えていることになる。これを無視して良いのだろうか。

トヨタの説明によると、この世代は多くが夫婦2人暮らし、もちろん1回に使えるお金は決して多くはないが、衝動買いをしがちな若者層とは違って、テレビを見る時間も長く、新聞にも目を通す。いわば、もっとも情報通の世代で、計画的に買い物をする層ではないかという。
ところが、デパートの売り場に行っても、ファッション・マーケットに行ってもシニア専門のコーナーはほとんどない。東京巣鴨のお地蔵さん商店街を除けば、忘れ去られた世代なのだ。しかし、ここでもファッションや流行も厳然と存在する。「モンスラ」を取り上げても分かるだろう。

ようやく一部の通販会社やインターネット通販がこの大潜在市場に気が付き、商品開発を手掛け始めただけだという。
トヨタはこの世代を「自己実現を目指し、社会貢献に目覚めた人達」と捉え、将来の日本文化や社会を支えるのは、シニアの双肩にかかっていると、新たな事業の重要な部署と位置づけている。特色のない蕨市の商店街にとっても、何かヒントを与えてくれる。

 

草の根国際交流を語る(復刊2号)

蕨・エルドラド姉妹都市協会 塚本美弥子会長
蕨・独リンデン市民交流協会 中村泰三前会長
司会 廣田 耕司
司会
永年蕨市民の国際交流にご尽力され、本当にご苦労様です。本日は普段着で進める国際理解についてお話し合いをしていただきたい。
塚本 1971年米国カリフォルニア州エルドラドの小学校の先生がシャペロンとして約500名の中・高生 (4Hクラブ会員)を連れて、東京近郊一帯にホームステイした時、蕨市の会員の家に小学校の女先生が姉妹都市締結文を持ってきました。75年市議会の決議を待って、姉妹都市の縁結びをしました。5年おきに相互に訪問しあい、昨年は25周年記念の来日。おばあちゃん、娘さん、その子供の訪問もありました。
中村 リンデンは77年にドイツからスポーツ・ユーゲント(少年団)が来日、ホームステイのお世話をしたのがきっかけで、純粋に民間同士の交流をしようという取り決めを結び、翌年3人の代表が訪独して、2年ごとに相互訪問することになりました。国際結婚してドイツに住んでいる娘さんもいますよ。

注意したいこと
中村 ドイツへ行くと、ステイ先の家庭では家の中をくまなく案内してくれます。ざっくばらんにすべてをさらけ出すことが、本当の理解につながります。顔の見える交流ですね。
塚本 その通りです。ステイを引き受けてくださる方々には、オリエンテーションの時に、特別の待遇をせず、家族の一員として、一緒に暮らしましょう、と伝えます。それとイエス・ノーをはっきりと返事をする必要があると伝えます。
最初の時は、畳替えの注文が増えて間に合わないというお宅や、洋式のインスタント・トイレが品切れになつたこともありました。でも畳の上に布団を敷いて寝るのが珍しいと、かえって喜ばれたりするので、自然に流れるよう考えています。食事でも、納豆や梅干しにチャレンジしてもらったりします。

学びたいこと
塚本 来日される前に日本での訪問先希望を聞きます。近いところでは鎌倉や川越、遠くは北海道へいく人もいます。出来るだけ理事が付き添っていくことにしています。
中村 歴史のある名所への、ゆっくりした旅を好むようです。駆け回る旅ではありません。蕨での交流会には、子供達も参加し、文化の違いを身体で感じ取っているようです。
塚本 青年会議所の方が訪米したとき、家庭で夫が家事を手伝っているのにびっくり、帰国後、風呂掃除を始めた方がいます。そして、子供達が暮らしの中で自然にしつけられていて、コーヒーの用意をしたり、玄関の掃除など毎日当番でしていました。
協会ではホームステイの要望があれば、どこの国の人でも引き受けます。3年前韓国の女子大生2人を泊めました。帰ってからの便りに「日本は嫌いでしたが、ステイして考えが変わりました。家族にも話しました。今度は訪韓してください」と。これこそ草の根の交流ですね。
中村 確かにしつけは厳しいですね。決められたルールを守ること、が徹底されていますし、老人の荷物などは言われなくても手助けします。交流の中で日本の子供達がこんな当たり前の行為を真似するようになって欲しいと思います。

これからの進め方
司会 国際交流をさらに進めるためには。
中村 交流の後、必ず手紙を書く習慣を付けること。個人もそうですが、例えば学校同士がペン・パルになれば、蕨市民の活動範囲が広がります。インターネットも利用して、いろいろな点で輪を広げていきたい。そのためには、市内で国際理解を進めている方々が、話し合える場が欲しいと思います。
塚本 リンデンでもなさったことがありますが、小学生の絵の交換を手掛けています。そして話し合いの場は是非実現させたいですね。情報交換のための組織が必要です。日を決めて集まれる場所、サロンを設定できれば、外国の方々との日常的な交流も進むのではないでしょうか。特に次の時代を担う若者に参加してもらいたいですね。
中村 このほど「独日協会リンデン・蕨」のルドウィツヒ・ヘドリッヒ前会長が勲五等瑞宝章をお受けになったことを付記いたします。草の根の交流が認められた訳で、嬉しいかぎりです。


 

「こまったら 話してね」
 悩み相談カード 全小中学生に配布(復刊3号)


市教育委員会はこのほど市内の小中学生約四千九百名に「こまったら話してね」カードを配った。これは、子供たちが悩み事など何か相談したいことがあったとき、最寄りの公衆電話から、教育相談室へ気軽に連絡できるフリーダイヤル・カード。

昨年実験的に小学五年生と中学一年生に配布したが、一年間で五十七件の相談があったという。「どう付き合ったらいいの」とか「喧嘩している友達を止められない」といった交友関係での悩みの訴えが多く寄せられた。
この結果を踏まえて今年度、全児童・生徒に配布したもので、五月末現在二ヶ月間ですでに三十三件の相談があったという。中には小学一年生から「学校帰りに雨が降り出したの、どうしたらいいの」というかわいい相談も混じっていた。

今のところ新学期始めのせいか、勉強の仕方、成績の上げ方などの質問が多かったというが、中には思春期特有の悩みも。相談員が常駐している教育相談室は家庭児童相談室と同じ場所にあり、福祉関係や児童虐待の相談も即座に受けられる体制になっているが、今のところ、そうした深刻な相談は見られない。

この制度は全国的に見ても実施されているところはまだ少なく、北海道や大阪などからも問い合わせが相次いでいる。

 

歩き旅「中山道」
コーペル遊歩隊・石原道子(復刊3号)


六月十日まで歴史民俗資料館で「中山道六十九次遊歩の記録」展が開かれた。隊長の石原さんに寄稿していただいた。

女性団体コーペルは、四二年の歴史ある団体。福祉や女性の地位向上に取り組むと同時に、趣味活動として、遊歩隊を組織、二年半前から旧中山道を歩き始め、この四月十九日京都・三条大橋に到着した。

日本橋を振り出しに戸田橋から蕨城址、和楽備神社、三学院、南浦和の焼米坂から浦和宿。地元なのに全く気付かなかった事を発見する旅に感動。初めは日帰り、高崎を過ぎた頃からは一泊二日、環琶湖周辺では二泊三日となった。全員主婦、しかも高齢、それまでの人生では歩く旅の経験のない者ばかりだったが、持続できたのは「旅は道連れ」に尽きる。

旧街道の旅と云えば宿場の町並み、家並み、本陣、旅籠などが見所だが、中でも今なお残っている元篭に泊めていただくのが楽しかった。佐久を過ぎた和田宿の元庄屋の本亭旅館。梁や柱が太く、襖絵もそのまま、二階への階段の奥行きの広さはさすが。木曽・須原宿の民宿すはらも、連格子の旧家。飛騨・細久手宿では、十五代目の女将から由来を聞いた。

東海道は川が多く、しばしば川止めになったためか、女たちの旅は中山道が多かった。百四十年前の皇女・和宮しかり。しかし山越えが多く、いまでも難関な峠がある。碓氷峠、和田峠。真夏に越えた鳥居峠では、たどりついた薮原宿のお年寄りに「よくまあ」と感心されてしまった。

旅も最後の頃になると、欲張り根性が表に出て、このまま三条大橋に着くのはもったいないと、「近江八景」に寄り道。湖西の旅を楽しんだ。

楽しみはまだある。そこでしか味わえない料理、酒。宅急便で家族や友人に楽しみを分かつことができた。それに旅の専門家になる。電車の乗り方、時刻表の読み方。そして事前の勉強。木曾街道に行く前、へ全員で島崎藤村の 「夜明け前」をみんなで読んだ。また生まれて初めて夜行列車にも乗った。

これまでは人任せの旅だったが、自分で調べ、行動する、とても勉強になった。各地の資料館も見せていただいたが、蕨の資料館はしっかりしたいい所で、締めくくりの展示会ができ、全員感謝しています。

 

「彰義隊」伴門五郎のこと
小此木 勇(復刊4号)


伴門五郎は江戸開城に際して、幕府に忠義を尽くした彰義隊の勇士だ。後に「彰義隊第一等の英傑」とも称せられた。この人が蕨生まれであること、明治100年の際、三学院境内に顕彰碑を建立したことを知る市民は多くないかもしれない。是非記憶にとどめていただきたい。

門五郎は天保10年(1839)4月8日、蕨宿の名主・岡田平左衛門の3男として生まれ、14歳の時、叔父・伴経三郎貞家の跡目を継ぎ、御徒士となった。当初は末席ながら直参として公武合体を図る14代将軍家茂に従い、上洛もしている。

幕府の陸軍近代化の中で、兵卒から累進、第2次長州征伐に従軍した頃には、陸軍調役並(旧陸軍の大尉相当)に出世している(加来耕三「真説・彰義隊」による)。

慶応4年(1868、この年9月には明治と改元)1月3日から4月にかけて、京都では倒幕を唱える薩長軍に佐幕派の会津・桑名が敗北、大坂城にいた将軍・慶喜は軍船で江戸へ逃げ帰った。

ご存知の通り、江戸城内では薩長を迎え撃つか否かの評定、結果として無血開城を主張する勝海舟の建言を入れた。しかし、慶喜の家臣一ツ橋家を中心とする徹底抗戦派は、彰義隊を結成、上野の山に立て籠もる。この際、門五郎は結成のため大きな役割を果たした。また慶喜が蟄居した寛永寺に護衛団として派遣された70人の中には、山岡鉄舟、高橋泥舟がいた。蕨・三学院にはこの泥舟が揮毫した墓石が残っているはず。泥舟は槍術の使い手、人格は高潔、人情に篤く衆望を担っていた。幕末を飾る「三舟」。蕨での、明治維新にまつわる1こまを紹介した。こんな史実を是非とも後世に語り継いで欲しい。そこで私には提案がある。三学院につながる地蔵の小径にこうした史実を伝える案内板を建てて欲しい。門五郎ばかりでなく、同時に「埼玉の教育先覚者・石川直中」の墓も改めて紹介したら如何でしょうか。

 

初の合宿通学 準備進む(復刊4号)


蕨市教育委員会は9月から小学4年生から6年生までを対象にした「合宿通学」を始める。これは学年の違う学童を1週間合宿させ、食事作りや銭湯での入浴など身近な施設で共同体験させようというもの。塚越地区や南町地区では早くも募集が始まっている。

この制度は蕨市では初めて。親元から離れて、共同生活をすることによって、@家庭内で機会が減っている炊事・掃除・洗濯などの家事を体験させ、家庭の大切さ、親のありがたさを実感してもらう。A兄弟が少ない子供たちに、異年齢の子供と交流させ、思いやりとやさしさの心を養わせる。B子供の自主性を尊重しつつ、基本的な生活習慣を身に付けてもらう。といった狙いをもっている。

具体的には1地区20人の小学生が、公民館で合宿しながら通学する。朝は6時起床、朝食を作り、登校、午後4時半に下校してから夕食と朝食の買い物、夕食作り、掃除、銭湯での入浴、自由活動の後、午後10時消灯・就寝というスケジュールになっている。

各地区で実行委員会を作り、計画を練っているが、初めての試みだけに、学童が持ってくるもの、実行委員会で用意するものなど、細かいリストを作成して、準備に当たっている。また大阪で児童相手の事件が起こった直後だけに、安全対策は事細かに考えられ、男女の大学生2人が常時付き添い、万全の体制で臨むことにしている。

合宿は塚越地区・9月16日(日)から22日(土)まで。南町地区は10月8日(月)から13日(土)まで。この後、11月には中央、北町、錦町の各地区でそれぞれ20人を募集することにしている。

 

火伏せの地蔵・子育て地蔵の縁起
小此本 勇(復刊5号)


数世紀前の元禄時代から「火伏せの地蔵」「子育て地蔵」と呼ばれ、蕨宿の人々ばかりでなく、近在の多くの人の信仰を集めてきた三学院のお地蔵さんがこのほど、中仙道に通じる参道に移され、8月24日披露の意味を含めて盛大に縁日が行われる。

古老の説によれば、このうち「火伏せの地蔵」はもとは中仙道に面して存置されていた。大正年間、天皇陛下が中仙道をお通りになることになり、目障りだから撤去せよと、お上から世話人衆へ申し渡しがあった。やむを得ず目の届かない宿場の裏の方へ遷し申し上げた。しかし縁日ともなれば威勢のいい露天商の声も響き、にぎわい続けたという。

戦争、そして敗戦。社会が混乱、人々が虚脱状態になっている際、世話人たちが異議を唱えるいとまもなく、お地蔵さんは仁王門の前に移された。街道からあまりにも遠ざかつてしまったので、願を掛ける病身の人や老人の足が遠のき、寂しくなってしまった、と振り返る。

さて、このお地蔵さん、そんなに霊験あらたかなのだろうか。その縁起について古老は、話を続ける。

江戸時代に遡る。中仙道から三学院へ向かう参道の入り口あたりを「大門」と称して、商家が軒を連ねていた。

その一軒に、キセルや刻み煙草を商う店があった。相州秦野や水戸、奥州福島など産地に出向き、葉煙草を仕入れてくる。それを職人が刻み、湿気を嫌う特別な箪笥の引出しに収めておき、客の求めに応じて量り売りする、そんな商売をかなり手広く行っていた。

ある年の暮れ、昼ころから雪が降り出し、宿場に連なるお店はほとんど早々と店を閉めてしまい、寝静まった深夜、煙草屋の戸を叩くものがいた。
亭主は目を覚ましたものの、風の音かと躊躇していたが、二度三度音がするので、のぞき窓から外を窺った。

すると墨染めの衣に饅頭笠、右手に錫杖を持った僧侶の姿があった。亭主は慌てて戸を開け、声を掛けようとすると、それより先に 「北側に置かれた箪笥の引出しを見よ」との僧侶の声。

言われるままに、引出しを開けると、煙草に火が勺いて真っ赤。
土間に用意の手桶の水を掛け、火を消し、ようやく落ち着いた所でお礼をしようと表に出たが、僧侶の姿は見当たらない。

不審に思って、雪の上に残された草鞋の跡を辿っていくと、お地蔵様の傍らに錫杖が突き立てられ、それに饅頭笠がかぶせられていた。
亭主は「あの僧侶はお地蔵様の化身だったのか」と悟ったという。

(続きの子育て地蔵は次号以降に掲載予定)。

 

第51回機まつり 35万人が夏を楽しむ(復刊5号)


恒例の機まつりが8月4日から7日まで、西口駅前通と桜橋通りで盛大に行われた。35万人の人出で賑わい、モデル撮影会・写真コンクール、手おどり、など多彩な催しに、暑さを吹き飛ばした。
装飾コンクールの主な受賞飾りは次の通り。
* 埼玉県知事賞=(有)茶の市川わらび園
* 蕨市長賞=(株)都屋ストアー
* 蕨市議会議長賞=(株)マスヤ
* 蕨商工会議所会頭賞=小池田生花店/(有)ホーム薬局/ブティックトラヤ/(有)喜らく
* 蕨市観光協会長賞=(有)岡田敷物
* 機まつり・実行委員会賞=(株)鈴木商店
* 蕨市商店街連合会長賞=(株)たかしまや
* 蕨織物工業会賞=(有)吉田屋・鳥勇




埼玉県知事賞に輝く(有)茶の市川わらび園の飾り

 

TMO構想具体化ヘ(復刊6号)
蕨商工会議所・推進母体設立
田中会頭に聞く


蕨商工会議所は先に策定したTMO構想の実現に向けて、9月中に「蕨市中心市街地活性化推進協議会」を発足させ、事業実施計画、資金計画などを検討するため、関係する商店街との協議にはいることになった。田中正二会頭に今後の取り組みなどを聞いた。


Q
蕨市のTMO構想は大変具体的にできています。実現した暁の活性化した市のイメージが浮かび上がります。
A この楕想は、平成11年市が策定した「基本計画」に基づいて、商店街などからのヒアリングや有識者の意見を参考にまとめたものです。

特に、作業部会に参加していただいた若い人たちが熱心に取り組んでくださった。また構想以外の推進事業や議論の中から出た基盤整備事業についても言及しています。

Q
どこから着手するのか、資金計画はあるのか、など、今後大きな課題を抱えていますが。
A 大事なことは、蕨駅東口ゾーン、蕨駅西口駅前ゾーン、中心商業軸ゾーン、歴史・文化軸ゾーンと分けた4地区の方々が、立ち上がってくれることです。

しかし座して待つのではことはなかなか進まない可能性があります。そこで、9月中に、商店会の代表や学識経験者、蕨市幹部に参加を求め、推進協議会を設立します。これを中心に、構想の重点12項目について、事業実施計画や、自己資金の捻出方法、補助金を受ける可能性などを検討し、速やかに実現に向けて動き出したいと考えています。

Q
各商店街はそれぞれの利害が絡み合っていると思いますが。
A 要するに、蕨市を「人と人の出会いを大切にし、他者を思いやるまち・ほっとするまち」、言い換えれば「家族で楽しんで歩ける街」にするという統一の目標を掲げて、全体の活性化を図ればいいのです。

どの項目を優先的に扱うかは、それぞれの商店会がどのくらい熱意を持つかにかかっていると思います。「天は自ら助くるものを、助く」ということでしょう。

 

 

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