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わらび新聞

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ワールドカップに向けて
「こどもたちと共に感動を」
JC主催・セルジオ越後氏講演会(復刊11号)

2月7日夜市民会館で、とだわらび青年会議所(JC)主催の、サッカー解説者セルジオ越後氏の「感動・ゆめ・みらい」と題する講演会に多数の小中学生を交え、約500人が熱心に聞き入った。

越後氏はブラジル生まれの日系二世の名プレイヤー。1972年来日してから、延べ50万人の少年サッカーの指導に当たってきた。

講演では、日本チームが予選を突破するには、全国民をあげての応援がカギとなると強調、「ヨーロッパなら試合の日は学校は休み。親子が一緒に感動を味わう。これが教育の原点だ。サッカーボールや野球のグローブを与えず携帯電話を与えるような風潮はおかしい。会場に入れなくても近くに行って、外国人と会話し、感動を共有することが大切だ」と熱っぽく語った。

「あるいは御馳走を用意し、家族や仲間を集めて一緒にテレビ観戦してもいい。日本チームを応援し、勝ちに拍手し、負けた悔しさをバネにし、愛国心を育てる。選手はきっかけで、主人公は感想を持続させる人々なのだ」

 

公民館開館50周年
宇宙へ!私たちからのメッセージ(復刊11号)

昭和26年中央公民館が開設されて50年。2月2日(土)記念の第8回学びあいフェスティバルが開かれた。記念講演の宇宙開発事業団の中沢孝さんは、宇宙からの映像を使い、集まった約300人に感銘を与えた。

中央公民館ホールには、幼稚園児や小学生の宇宙への夢を描いたパネルが展示され、7年後に開封されるタイムカプセルに600通の夢が寄せられた。

記念式典では藤井清司・実行委員長が「埼玉県の公民館数は全国一で、その中でも蕨は突出している。公民館は人づくり、まちづくりの拠点だ」と強調した。

金管五重奏の演奏後、宇宙開発事業団・地球観測センター(鳩山町)で衛星からの観測データの解析に当たっている中沢さんが映像を駆使して記念講演した。

地球観測で何が分かるか、というテーマでは蕨市の姿を映しだし、アマゾンの森林伐採や、オゾンホールの実際などを説明。

翌日に打ち上げ予定(延期)のH−UAロケットやスペースシャトル、宇宙基地などを分かりやすく解説、宇宙酔いの実際や宇宙船内での生活振りなどが披露された。

宇宙飛行士・毛利衛さんが撮影した白く富士が輝いている姿や厚さが100キロしかない薄い大気圏の姿が紹介された。地球は壊れやすい存在だ、という実感が会場で共有された。

素晴らしい催しだったが、集まったのは日頃公民館を利用している高齢者が多く、青年の姿はちらほら。これから始まる宇宙時代を生きる若者にこそ、この感動を共有して欲しいものだと感じた。

 

人権めぐる講演会盛況(復刊12号)

新垣さん・恨みを超えて
長谷川さん・職から役へ
山下さん・みんなに優しい街づくり

2月から3月にかけ、各種団体の主催で人権を考える講演会が開かれた。


男女共同参画市民フォーラム

3月3日市民会館の「今いちばん大切なこと〜認め合おう互いの個性〜」と題したフォーラムに約700人が集まった。講師の沖縄出身、盲目のテノール歌手・新垣勉さんは風邪気味だったが、ユーモアたっぷりなトークと声量豊富な歌を披露した。

ラテン系の米軍兵士の父と沖縄出身の母との間に生まれ、両親の離婚により孤児となったこと、父へ対する憎しみの歳月、周囲の援助で音楽大学へ進学した経過を語り「大学でイタリアの有名歌手から<あなたの声はラテン系だ>と言われ、ラテンと沖縄の血を与えてくれた両親への憎しみが消え始めた」

「日本は経済成長の間に心の栄養を忘れてしまったのではないか。自分らしさを大切に。他人と比較するのではなく、オンリー・ワンの人生、等身大の自分を大切に」と締めくくった。


男と女 おもしろ人権講座

2月25日南公民館。講師は茨城大学・長谷川幸介助教授。要旨次の通り。

戦後日本は経済のパイを広げるために男が「職」場で働き、金銭的な豊かさを求めた。その間社会参加していたのは、女だった。

人間には血縁・地縁・職縁・友縁という4つの縁がある。男は退職した途端こうした縁が消えてしまう。こんな不幸はあるだろうか。食事の支度が増えたと妻から疎外され、行き場を失う。社会に役割をもっていないからだ。こうした「役」は女が担ってきた。

これからは職と役の壁を取り払い、お金だけでない社会を作らねばならない。「役」は作り出せばいい。


障害者と共存するまちづくり

3月2日わらび市民大学講座で、川口市で障害者福祉活動をしている「めだかふぁみりぃ」代表の山下佳子さんが「みんなに優しい街づくり」の話をした。

めだかふぁみりぃは、約20年の歴史を持ち、スポーツ、カルチャー教育を中心に多彩な活動を繰り広げているが、そのひとつがクッキー製造販売。川口銀座商店街に出店するまでの苦労を語り、障害者が差別なく、一緒に生活できる地域社会をどう育てていくか、キーワードは「夢」と語った。

障害者も同じ生命を持っている。自立のためには周囲の援助も必要だが、自分の意思で行動できるように仕向けてほしい、と強調。

 

講演・どうなる埼玉の経済(復刊13号)

あさひ銀総合研究所・久保誠司氏

埼玉経済は全国5位

人口は2月1日現在、約698万人。今年中に700万人を超え、愛知県を抜き、東京、大阪、神奈川に次ぎ4番目になるでしょう。1960年には243万人で全国10位。その後人口増加率では、常に1位か2位でしたが、伸びが落ち、2000年には5位に下がっています。

200年度の人口の「社会増」は、たった2,409人でした。これは、東京都心の地価が下がり、人口が逆流入する現象が起きているからです。同じ年東京の社会増は58,799人を数えました。


県外から稼ぐ

埼玉県人はどこで働き、どこに通学しているのか。2000年には、通勤・通学者は全部で360万人。うち他県に通っている人が3分の1.大分県に匹敵する人口が毎日東京を中心にした他地域に出ています。この人達が月に20日通勤・通学し、千円ずつ外食したとしたら、年間約2,900億円が県外で支出される計算です。昼飯代だけでこうですから、買い物など含めたら相当な金額になります。このお金が地元に落ちれば、商店街は元気になるでしょう。

もちろん、この人々は県外から収入を得ています。1998年度の県民総生産(県外での活動を含む)と県内総生産(県内のみに限った生産)の差である7兆円が県外から得ている所得です。この金額は全国一で、就業の場をいかに県外に依存しているかをあらわしています。


失われる優位性

埼玉県は人口規模に比して就業場所がないのです。1996年には県内の民営事業所は27万を数えましたが、1999年には26万に減っています。県内の雇用情勢をみても、今年1月には、100人の就業希望者に45人分の職しかない状況です。

埼玉県は高度成長期に、京浜工業地帯に隣接している立地条件から工場の集積が進むと共に、東京のベッドタウンとして多くの人口が流入、それに伴い住宅建設や個人消費が伸びたことも経済発展の要因となります。

しかしバブル崩壊以後、製造業をはじめ企業が流出、人口の伸びが止まり、市場がしぼみ始めている。産業、人口両面で空洞化が始っている。これまで県や市町村は、急増する人口に対応するため、学校や下水道など社会資本の整備に追われ、産業瀬策に手が回らなかった。ここに来てそのツケが回っていると言えます。ベッドタウンで発展した町は住民の老齢化に伴い必ず衰退していきます。産業集積の振興が急務です。


※    ※    ※

3月9日中央公民館で行なわれた市民大学講座における講演の後半部分の要旨である。講師はあさひ銀総合研究所の埼玉調査室・主任研究員。なお全文は市民大学講座記録集に収録する予定。

 

蕨宿の謎を探る(復刊14号)

中山道開通して400年
歴史民族資料館
佐藤学芸員の公演会から


中山道蕨宿が開設されてから、400年。六十九次の旧宿場町(東海道と重複している草津と大津を加えて)の各地で、記念イベントが予定されているが、蕨市ではそのトップを切って、歴史民族資料館で「中山道と蕨宿」展が5月12日まで開かれ、多くの市民や中山道を歩き通して見ようというツアーの方々が訪れた。

4月6日には佐藤直哉学芸員が記念講演を行なった。その中から、蕨宿の特殊性を拾い上げてみた。(文責・編集部)


謎の1「何故区画が整然としているのか」

家康が街道を整備したのは、一般人の旅行を便利にするためではない。大名を締め付けるために取り入れた参勤交代を円滑にするためであった。

蕨宿の1つの特長は区画が整然としていること。これは、比較的低地にあるこの道筋に、盛り土をし、新たな町として計画的に造成した可能性が高いことを示している。


謎の2「用水堀をめぐらせているのは何故か」

宿場の周囲を用水掘で囲んでいるのは、東海道の島田宿以外にはあまり例がない。これまで俗に遊女や織物工場の女工が逃げ出すのを防ぐためとも説明されてきた。

しかし跳ね橋(唯一徳丸家に残っている)があるから、逃げようとすれば容易なはず。やはり侵入防止が目的ではないか。跳ね橋は裏堀が無ければ作れない。むしろ用水と裏堀で防御したのだろう。

それにしては、常時木戸が設置されていたという記録もない。和宮のような要人が宿泊した時のみ、木戸を設けたのだろう。


謎の3「板橋、浦和両宿と近すぎるのは何故」

蕨宿は中山道の二番目の宿。板橋から9キロ、浦和から5キロ。当時の旅行者は江戸を立って、その日の内に上尾か桶川まで歩いている。中途半端な立地といわざるを得ない。

どうやら大雨のあとなど、荒川・戸田の渡しが川止めになった時の対策だったのではないか。浦和まで戻るのは遠すぎる。現に本陣が2つある熊谷、本庄も川のそばに立地している。

謎の4「本陣が2つあるのは異例だ」

中山道六十九次のうち、本陣が2つあるのは8ヶ所に過ぎない。前項で説明したように、川止めになったとき、大名の宿泊がかち合うおそれがある。その時には、蕨宿の場合、石高の高い方が「一の陣」、次が「二の陣」に泊まったのだろう。

本陣には庶民は泊まれなかった。もう1軒ある脇本陣には大名がいないときに庶民も利用できた。ところで、蕨宿には幕末、旅籠が23軒。食事が付かない木賃宿と一泊二食付きの平旅籠が13軒。女性のサービスを受けられる飯盛旅籠が10軒と記録されている。一文を6.6円と計算すると、木賃は一泊330円、平は1300円、飯盛は3300円になる。


謎の5「どちらが上、下なのか」

蕨の場合、京都側が「上」、江戸に近い方が「下」となっている。「上方」とか「東下り」という表現からも、こうした呼称が通例と考えられていた。

ところが中山道では、京都側を上というのが二十六宿、江戸側を上というのが三十二宿と分かれている。軽井沢宿を境に、呼び方が違うのだ。浅間山の分水嶺を境にしたのでは、との説もあるが、理由はいまだ判明していない。
(文責・編集者)

 

中仙道に葬祭場計画
町会は猛反発 反対運動へ (復刊15号)


中仙道商店街の北端、ふれあい広場そばのT字路に面した北町三丁目四番地に、(株)大森弟葬祭が小規模の葬祭場を計画していることが、5月17日夜地元の上町町会の求めで開かれた説明会で明らかになった。

説明によると、同社の「お泊りセンター」と隣地の清村さんの宅地を合わせた325uに、二階建ての葬祭場を建設するとしている。道路からは5.87m控え、一階はピロティ式の空間と小事務所。二階が50人程度参列できる式場とお清めホール。

街並みに配慮して、高さを9mに抑え、一般住宅と変わりないようなデザインにし、敷地内に12台程度の駐車が出来るようにしたという。「集会場」として建築許可申請を行ったとしている。

説明会で大森社長は「小家族化が進み、小規模の葬儀が増えているが、これまでの式場は大きすぎ、高額の費用が必要となっている。こうした時代背景を考慮、手軽に利用できる施設として考えた」と述べ、また共同経営者となる清村さんは「住居が古くなり、かつ道路に出っ張っていて見通しが悪い。この計画では、見通しが良くなり、集会に人が集まれば町の活性化にもつながる」と語った。

説明会には、上町町会や中仙道まちづくり協議会の約50人が詰めかけ、熱心に討議を行った。ほぼ全員がこの計画に反対を表明したが、主な論点は二つに絞られた。

まず蕨市全体のまちづくりの中で、歴史的なまちなみとして位置づけ、道路の修景工事を行ってきた理念にそぐわない、また昨年策定した「TMO計画」とも矛盾する、というもの。第二には、葬儀の行われる時点で、交通が遮断され、不法駐車による障害が甚大になると予想されるという点。

絶対に反対する
上町町会長・奥田さん

奥田常雄会長は「宿場という残された環境が破壊される。最近では、中仙道を歩く人たちが増えている。町会としては全員一致で反対する」と強い調子で意見を集約した。

発展を阻害する
まちづくり協議会

また、まちづくり協議会の岡田会長は「大森社長の考え方は間違っていないかも知れないが、この中仙道に設置するのは、ミスマッチも甚だしい。まちなみ協定に抵触するばかりか、町の発展を阻害しかねない」と述べた。

説明会のあと、出席者は具体的な対策の協議を行い、建設阻止に向けて行動を始めることを確認した。反対を表明する立て看板や署名運動が直ちに始められた。

 

合併に向け、各市で意識調査 平成17年の時限迫る (復刊16号)


川口、戸田、蕨、鳩ヶ谷4市の合併をめぐって、7月、一斉に市民の意識調査が行われる。合併後の地自治体に特典を与える「合併特例法」の期限が平成17年3月末までで、残すところあと2年半余り、合併の是非を協議する「法定合併協議会」が設置出来るかどうか、瀬戸際での意識調査となる。

まずこれまで合併を推進してきた県南都市問題協議会では、合併問題に絞った意識調査を、対象1万人とこれまでよりサンプル数を増やし7月に実施する。蕨市は毎年実施している振興計画の基礎調査の中に、今年も合併についての設問を加え、戸田市では4年に1回の同様の調査に今年初めて合併を取り上げる。

9月にはこれらの集計が終わる模様だが、各市の市民がどのような判断をするか、タイムリミットぎりぎりだけに、結果が注目される。

カギ握る戸田市
神保市長は反対論

6月末の戸田市議会で、神保市長は大要「戸田市は普通地方交付税を交付されていない自治体である。このため合併後、旧戸田市域には国からの財政支援が受けられないおそれがある」と発言、県も「条件はあるが、この見解は間違っていない」と回答し、論議を呼んだ。

国の特例措置は主に2つある。「合併算定替」は合併後10年間は合併以前の地方交付税合算額を下回らないようにすること。「合併特例債」は合併後の新しい都市建設計画に対して、合併後10年間は事業費の95%について地方債を発行でき、その元利償還金の70%を国が普通交付税として負担するというもの。試算では4市合わせて10年間で695臆円が普通交付税に上積みされる。

蕨など3市は別表のように普通交付税を受けており、メリットがあるが、不交付自治体である戸田市の場合、平成13年度29億円の黒字を計上しており、新市の事業は戸田以外に重点配分される可能性が大きいというのが、神保・戸田市長の考えだ。

これに対し、合併推進派は「こうした問題は合併協議会の中で解決できるし、単独債を設定することも出来る。地域全体を大きく発展させたり、公共事業の遅れた地域に重点配分して行くべきで、旧戸田市域のことだけ考えるべきではない」と反論している。

また合併調査特別委員会をめぐって、一旦3月に設置を決めたものの、廃止された。6月市議会では再設置を求める陳情が上程されたが、本会議で1票差で不採択となり、混迷を続けている。

 

晴天に恵まれ機祭りに38万人(復刊17号)


今年の機祭りは8月8日から12日まで4日間西口駅前通り、桜橋通りを会場に開催された。連日昼間は35度を越える炎天で、夜遅くまで涼を求める人並みが続いた。主催者は約38万人の人出があったと推定している。

埼玉県知事賞は昨年に引き続き、(有)茶の市川わらび園の「源氏物語」が獲得した。

500名が参加しての手踊り行列、バンド演奏、組太鼓など多くのアトラクション、モデル撮影会と盛りだくさんな行事であった。中でも今年初参加の「ヨサコイソーラン踊り」は若い人が中心で注目を集めた。

 

県南4市合併から、戸田市離脱
3市は任意協議会で可能性を探る(復刊18号)

懸案の県南4市合併をめぐり、8月8日戸田市の市民意識調査の中間結果が公表された。有効回答数1401通のうち、「合併の必要性はない」との回答が69.2%と、「必要と思う」の9.5%を大きく上回った。これを受けて神保国男・戸田市長は「合併協議には参加しない」と3市に通告、合併作業から離脱した。

蕨・川口・鳩ヶ谷3市は、任意の合併協議会を設置、3子のみによる合併の可能性を探ることになった。しかし3市の人口を合計しても60万人弱で、政令指定都市の条件は満たされず、合併のメリットは大きく損なわれる。

田中・蕨市長の発言
8月28日夜北町コミュニティ委員会が主催して「市長と語る会」が開かれた。冒頭、市長は「安心して暮らせるまちづくり」について集中豪雨時の出水対策、街路灯の設置、市民病院の運営などについて詳細に説明した。

このあと合併に関する質問に答え、「3割自治という現状を脱却するためには、広域行政が必要だ。合併して人員を減らし効率運営に移行するには、公務員は終身雇用なので企業のリストラと違い、時間がかかるが、将来を考えた場合必要である。当面首長や議員が減り歳費が減少するだけでも大きい。戸田市が脱落したのは残念だが、残る3市で任意の合併協議会を設置、合併に際しての問題点を探る必要があると考えている」と語った。

 

小此木さんを偲ぶ
遺文から 上 (復刊20号)

「わらび市民新聞」を創刊した小此木勇氏が死去した。2年前、身体をこわし、休刊を余儀なくされたものの、老人ホームに入ってから体調も回復、死の直前まで「ロシア革命史」などを読み続け、口を開けば、蕨の将来を心配し続けた根っからのジャーナリストであった。氏の残された文章の中から、足跡をたどった。(廣田記)

*    *    *

新聞発刊を思い立つ

新聞発刊を企図したのは昭和33年、翌年には市制を施行する前年だった。近代的産業もなく、どちらかと言えば、田園色の濃い農産地。大正時代に栄えた機業も戦後の繊維革命の中で気息奄々のありさま。しかし国電を利用すれば、都心へ30分ほどという地理的環境から、住宅を求める人が増え、人口も4万4千人を数えた。

しかし道路は農道のまま、水道やガスは未だし、教育スポーツ施設や幼児・老人のための福祉施設も少ない。が市制を担うべき人材は、国政進出を目指し、市の将来を真剣に考えていないかのようだった。記者は「もし地域新聞があったら、詳しい事情も分かるのに。それならば自分で始めてみるか」と意を決した。

記者室は必要ない

創刊号を世に送ってからは大変だった。争って読んでもらえる紙面をつくるために、多くの有力者を歴訪して話を聞いて歩いた。その中で、終戦直後からの蕨の歩みを聞く機会を得た。

昭和22年には長泉院の浅賀政弘住職が町長となり、次いで高橋庄次郎、岡田徳輔氏が町政を担った。地方政治なりに、虚々実々の後の駆け引きがあったようだ。この間の伝聞は「記者の備忘録から」に記してある。

岡田市政の2年目、35年には、西口駅前商店街で30数店が焼ける火事があり、都市改造事業がスタートした。38年には市役所の改築が議題になり、設計図では、記者室を設ける計画だった。記者は「庁舎は公共の財産。新聞といえども、営利を追求する事業体で、特権意識を捨てるべきだ」と利用を拒否した。

当今記者クラブの閉鎖性が論じられており、先見の明が窺われる。

(以下次号)

 

小此木さんを偲ぶ
遺文から 下(復刊21号)

「わらび市民新聞」を創刊した小此木勇氏が死去した。2年前、身体をこわし、休刊を余儀なくされたものの、老人ホームに入ってから体調も回復、死の直前まで「ロシア革命史」などを読み続け、口を開けば、蕨の将来を心配し続けた根っからのジャーナリストであった。氏の残された文章の中から、足跡をたどった。(廣田記)

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生コン工場反対運動

昭和37年、都市改造計画地域内の4000坪を所有する磐城セメント(株)が生コン工場建設の計画を持っていることが分かった。当時は道路は狭く、未舗装。こんな市街を間断なく生コン車が走ったらどういうことになるか。

町内会などで市当局や市議会に反対の請願を始め、運動は全市に広がっていった。こんな空気の中で磐城側は土地を住友セメント(株)に売却してしまった。市民は一層反対運動を高め、広田市長も市民大会で挨拶を述べるまでになった。

42年10月住友セメントは「生コン工場は建設せず、セメントの袋詰め工場とする」と決定、終止符が打たれた。その後全国各地で公害反対運動が起きるが、そのはしりだったのではないかと思う。


最後の録音

死去寸前の6月、図書館で行われている「昭和史を追う」講座の善方一夫、潮地ルミ両氏が、小此木さんを訪ね思い出を録音した。下山総裁怪死事件、三鷹、松川両事件など戦後国鉄で起きた大事件当時、讀賣新聞労組の幹部だった小此木さんから、秘話を語ってもらったもの。

話は占領政策や三鷹事件当時の取材、憲法の成立事情、など多岐にわたった。言葉も生き生きとして、特にGHQが憲法を押しつけたとする見解に対し、占領軍が提示する前に、日本側から多くの試案が出されたことを強調している。

また蕨についても、「歴史研究会」を組織、長老からの聞き取りを続け、20数巻の報告書にまとめた事情などを語っている。

 

市長・市議同時選挙(復刊22号)

6月1日に

蕨市選挙管理委員会は11月20日来年6月1日市長選(4月任期満了)、市議選(7月任期満了)を同時に行うことを決めた。5月25日告示。

地方公共団体の長と議員の任期満了日が90日以内なら同日選に移行できるとの特例を適用した。


市長選スタート

市長選に向けた運動が始まった。予想されるのは共産党の瀬高英雄市議、市政クラブの三輪一榮市議、新顔の池上智康氏ら。池上氏を担ぐ会には400人を超える市民が集まった。田中市長は12月初旬までには去就を表明していない。

 

3市合併へピッチ早まる
任意の合併協議会発足(復刊23号)

蕨・川口・鳩ヶ谷3市は、合併に向けて12月26日、任意の合併協議会を設立、第1回の会合を開き、合併への検討をスタートさせた。3市の市議会で協議会を速やかに設置すべきだとの議決がなされたのを受けたもので、合併協議会の顔ぶれは、3市の市役所・議会・住民の代表それぞれ13人ずつと、学識経験者として横道清孝・政策研究大学院大学教授、県代表として中村一巌・県地域政策局長の41人。

会長には田中啓一・蕨市長、副会長には岡村幸四郎・川口市長、名倉隆・鳩ヶ谷市長が、事務局長には川口市の吉田博一・企画財政部理事が就任した。事務局は川口市西公民館に置かれ、川口5名、蕨・鳩ヶ谷各4名の職員を派遣する。予算は3市が880万円ずつ負担する。

合併後の建設計画の基礎調査や事務のすりあわせなどに着手し、市民の理解を求めるため、ホームページの作成などを含めた広報活動を進める事にしている。名倉隆・鳩ヶ谷市長は記者会見で「年度内に法定協議会を設立したい」との意向を表明しており、作業は急ピッチで進むものと見られる。

 

田中市長8期目に出馬

保守派4人、革新派1人の乱戦へ
争点は合併の是非(復刊24号)


1月末、三輪榮一市議、田中啓一市長、池上智康商工会議所青年部長の3氏がそれぞれ記者会見を開き、6月市長選へ出馬表明した。福田秀雄民主党市議、瀬高英雄共産党市議も立候補の意思を明確にしており、保守革新5人の乱戦模様となった。

8選を目指す田中市長は「蕨の財政事情から川口・鳩ヶ谷との合併を推進する」と意欲を強調した。これに対し三輪氏は「戸田を除いた3市の合併には反対」を表明、池上氏は「合併には基本的には賛成、しかし特例法の期限にこだわらず、戸田とも話し合いを続けるべきだ」と述べた。瀬高氏は合併に反対の意向であり、合併問題が最大の争点になった。

 

どうする 駅前の放置自転車
シンポジウム開かれる(復刊25号)


3月1日、氷雨が降る夜、旭町公民館・旭まちづくり夢工房共催で「放置自転車について考える」とのシンポジウムが中央公民館で開かれ、約80人が参加した。

都市プランナーの野口和雄氏がコーディネーターとなり、まず蕨市市民生活部・北村次長が駅周辺の放置状況をスライドで説明、正規の駐輪場は、東口は満杯だが、西口は南側に余裕があると指摘、次いで塚越商店会の佐藤孝二会長が「有効な解決策がなく、商店街に駐輪できないような工夫をするように指導している」と述べ、中仙道まちづくり協議会の中津川俊明氏は「中仙道では店舗改築の際1.2mセットバックする協定を結んでいる」と語った。

中央1丁目子ども会の志水正子会長は「行政がもっと積極的に空地探しをすべきだ」。夢工房の河野忠義氏は「再開発地区の設計に駐輪場を採り入れるように」と要望した。駅前で放置自転車の防止と処理にあたっているシルバー人材センターの岡田栄治所長は「高齢者が放置しないよう説得すると、きつい言葉で反論したり、暴力を加えられることもある。通りがりに、応援の声を掛けて欲しいものだ」と市民モラルの欠如を強調した。

このあとパネルディスカッション。野口氏が「放置が起こらない駅前は、放置すると、恥ずかしいという気持ちにさせるまちづくりが出来ている。市民と商店街が協力してレンタサイクルを導入するなど、工夫して一歩でも解決に近づけたい」とまとめた。

 

3市合併、前途多難
市議会 合併協脱会決議(復刊26号)


蕨市議会の最終日、3月25日平成15年度の一般会計当初予算の審議に当たり、午後5時過ぎ、この予算案から川口・鳩ヶ谷・蕨市で組織する合併任意協議会への負担金3300万円を削除する修正案が議員提案され、11対10で可決された。同時に合併協議会から脱会する決議、市民投票を行うべしとする決議も可決された。
翌26日午前鳩ヶ谷市役所で開かれた合併協議会では、田中・蕨市長からこの間事情について説明がされたが、予算は当初予定の3分の2の6600万円に縮小された。また次回の会合についても後日連絡するとの報告で、蕨市の6月1日ダブル選挙後に持ち越される模様となり、作業は大幅に遅れそうだ。

 

市長候補予定者・公開討論
合併巡って激しい論戦(復刊27号)


4月26日午後市民会館ホールで市長選に立候補を予想される5人が、(社)とだわらび青年会議所主催の公開討論会に臨んだ。まず各候補が自由な自己紹介や主張をした後、@市長になったら優先的にやることA分権時代の行財政改革B蕨市の行政合併C反論と補足、のテーマで順番を入れ替えながら、日頃からの主張や改革への熱意を語った。

内容は1回の発言が3分と短時間だったためか、噛み合ったとは言い難かった。しかし特に合併の評価を巡っては、3市の合併を積極的に推進しようとする田中氏、デメリットについて租税負担など具体的に指摘した頼高氏、市民の合意無き合併を急ぐよりも戸田市を含めた広域的な連携を優先すべしとの池上氏の相違が目立った。

 

田中市長8選果たす
3市対等合併を加速(復刊28号)


6月1日の市長・市議同日選挙で、「市長をやめるために市長になる」をキャッチフレーズに、川口・鳩ヶ谷両市との対等合併推進を訴えた田中市長が8選を果たした。田中氏は2日当選証書を受け取り、直ちに議会対策など、当面の日程の協議を行った。5日には公式の初登庁、職員を集めて、「合併は財政健全化のための構造改革」と挨拶した。

今回の選挙で新しく選出された市議会は7月20日からの任期となるため、10日からの6月定例議会はこれまでの議員によって開かれ、冒頭田中市長は大要次のように挨拶した。

「選挙期間中、多くの市民の声を聞き、今後の姿勢に活かしていく。将来を見据えたまちづくりのために、公約の実現に努力する。合併は3市で具体的な協議を行い、最終的な結論を、市民を共に検討する。蕨にとって大事な課題であり、理解を得たい」

このあと、3月議会で否決された任意の合併協議会への支出予算3300万円補正予算案など8件の議案が提出された。補正予算案について、田島助役は「合併の是非を巡って、正確な情報が求められている。行政サービスの水準がどうなるかなど、今後継続的な協議が必要であり、そのための予算措置が必要である」と提案理由を説明した。

 

合併協への復帰決議
かろうじて議長裁定で(復刊29号)

蕨市議会は、6月定例会の最終日、27日、川口、鳩ヶ谷、蕨、3市の任意合併協議会への負担金3300万円を支出するための補正予算案を、議長裁定で可決した。本議会は、旧市議会メンバーによる最後の会議で、3月議会で支出案を否決した議員の内、3氏が市長選に立候補し、失職したため賛成派が議長を除き同数となり、議長裁定に持ち込まれたもの。

この結果、1年8ヵ月後に迫った、合併特例法の期限に向けて、合併の詰めの作業は急ピッチで進むことになろう。

 

廣田耕司編集長逝去
7月18日胃癌のため 享年66歳(復刊30号)

廣田編集長(廣田耕司)が7月18日午前4時14分、東京・お茶の水の順天堂病院で亡くなられた。胃癌だった。わらび市民新聞の復刊に力を尽くされ、6月26日の『ふれあいステーション玉手箱』のオープニングセレモニーには、いつもと変わらぬ取材をされていた。入院後、わずか1ヶ月足らずで亡くなるとは信じられない早すぎる死だった。

22日、23日、蕨市の三学院極楽殿で、通夜、告別式が執り行われた。故人の多くの友人や蕨市民が弔問に訪れ冥福を祈った。

 

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